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2006年9月 9日 (土)

枚岡神社 セレッソ戦異譚

 セレッソ戦から人や明けて8月27日の日曜日。9時過ぎまでぐっすり眠って、10時にホテルをチェックアウト。今日は、枚岡神社石切神社を巡ります。

 神社の事を書くブログでもあるのに、神社エントリはガンバ戦遠征後の石清水神社以来。その間、たくさん神社に行ってますが、一つも書いてません(キッパリ)。面倒なもんで...。

 さて、そこで一念発起。誰も読まないであろう神社巡りを再開。牧岡神社と石切神社はいずれも生駒山西麓にある。両社とも延喜式内社だけに1000年以上の歴史があります。私が好きな神社は出雲系の神社。この二つの神社は全く違った意味で出雲に関係している神社です。

0022_1 ●枚岡神社は藤原氏の原点

0024_2  新大阪のホテルからJRで大坂経由で鶴橋へ。ここで近鉄に乗り換えて、枚岡駅へ行きます。列車は生駒山へ向けて東へ直進。生駒山が次第に大きくなり、山の麓に近づくと緩やかに左にカーブをしながら山麓昇っていきます。鶴橋からものの20分ほどで枚岡駅着。

 改札を出て、線路をくぐって3歩でもう枚岡神社。駅の線路際に「元春日平岡(枚岡)大社」の碑(右)が建っている。「元春日」というのは、神護景雲年間(767~770)に奈良の春日大社の第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と第四殿 比売神(ヒメガミ)に分祀したことからくるものだ。春日大社は藤原氏の氏神社。つまり、春日大社より古いということ。春日大社は枚岡神社のほぼ東に当たる。

0015_3  藤原氏はもと中臣氏であり、天児屋根命(アメノコヤネのミコト)の後裔氏族とされている。本拠地は枚岡神社のある東大阪市出雲井町付近らしい。ということで、ここ枚岡神社は藤原氏のより古い氏神社ということだ。

 ちなみに奈良の春日大社の第一殿は茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿は千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)なのだ。鹿島神宮も藤原氏(中臣氏)出身地とされている。

 枚岡神社は4殿(4座)からなるが、もともとの祭神の天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と比売神(ヒメガミ)に加え、武甕槌命(タケミカヅチのミコト)と経津主命(フツヌシのミコト)は春日大社から分祀を受けている。ということで今の春日大社と同じ祭神ということになる。

0016_4  さて、境内は思ったより古風なたたずまい。東大阪市って感じはしない。生駒山と一体になっていて、奥行き感がある。背後の杜は自然公園になっており、ハイキングコースの起点にもなっている。

 ちょうど翌日が千灯明奉納行事にあたっていたらしく、境内には提灯が至る処にぶら下がっている。

0017_4  参道をしばらく行くと拝殿前の階段にたどりつく。その向かって右手に手水舎(右)があるのだが、これは湧き水を上から落としているものらしい。金網がかぶせてあるので良く見えないが、鹿?が咥えた巻物様のものの両端から水が出ている。なかなか珍しい様式。ちなみに春日系ということで狛犬も鹿。

0018_2  拝殿前の階段には剣をかたどった2本の柱が立っている。大正時代にたてられたもの。たぶん武甕槌命(タケミカヅチのミコト)と経津主命(フツヌシのミコト)の祭神にちなんだものだろう。この2神は前者が鹿島神宮、後者が香取神社と茨城の神社の祭神。出雲の国譲りに最後に派遣され、国譲りを武力で脅して成功させた神だ。その象徴が剣ということ。ちなみに神社の所在地の地名は出雲井という。

 経津主命の「フツ」はもともと、剣で物を切る時の擬音。また、武甕槌命は布都御魂剣・劔(ふつみたまのつるぎ)を使って葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した事になっている。両柱とも剣に縁の深い軍事の神なのだ。ちなみにこの剣は奈良の石上神宮に保存されている(今度の京都戦で行こうかと思ってます)。

0020_2  この布都御魂剣・劔(ふつみたまのつるぎ)はその後の神武天皇の東征の時にも登場する。神武東征の際、神武天皇が後述する長髄彦と饒速日に初戦で敗れ、熊野から攻め込むものの、「大きな熊」「丹敷戸畔」の毒気により進軍不能のダメージを受けた時のことだ。熊野の高倉下命(タカクラジノミコト)に天つ国の天照大神から指示を受けた武甕槌命が霊剣「ふつのみたま」を授け、神武に届けさせた。この霊剣「ふつのみたま」により神武軍は蘇ったというだ

0021_1  さて、拝殿の前の階段を登ると本殿。さほど広いわけではないが落ち着いた感じ。今の社殿は1862年のもの。それほど古くはない。拝殿右手奥の方向へ行くと枚岡梅園に行けるらしい。本殿の右手には若宮社がある。そこから枚岡神社の本殿が見える。春日大社と同じく本殿が4つ並んでいる(写真最上段)。いい感じ。社務所で朱印をもらう。授与所でお守りをいただく。

0023_1  で、次の石切神社に行こうと拝殿前の階段を降りた時、、本殿に向かって右側に禊場(右)があるのに気づく。境内の上から見ずが落ちていて、その水に打たれる様になっている。ちょうど、禊ぎを終わった人が着替えているところだった。次の人も待っている。マイナスイオンに満ちていそうな場所だ。

 神社を出るとまた強い陽射しが体を照らす。暑い。駅に戻り、クーラーの効いた待合室で石切神社への電車を待つ。

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 生駒山周辺は神武天皇が東征する前には大和の土豪・長髄彦(ナガスネヒコ)が支配していた地域。実はこの次に行く石切神社は長髄彦の妹をめとった饒速日(ニギハヤヒ)が祭神。彼は出雲系の神。

 饒速日(ニギハヤヒ)は天の磐船で天から河内国哮峰(現在の大阪府交野市私市の哮ケ峰)に降り、河内を支配していたことになっている。同地にはニギハヤヒを祀る磐舟神社もある。また、大坂城後にも磐舟神社があったらしい。饒速日の名前は正式には『アマテル・クニテル・ヒコ・アメノホアカリ・クシタマ・ニギハヤヒ ノ ミコト(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)』。天も国も照らす神様。後に大和朝廷の天照大神は饒速日の名前を襲ったという説もある。

 饒速日は神武の東征に対し、最初は長髄彦と一緒に神武に抵抗するが、最後は長髄彦を裏切って神武に屈する。

 大和朝廷の初期、朝廷で権勢を誇っていた物部氏の祖先はこの饒速日とされている。物部の後を襲った(蘇我氏も物部と血縁関係にあった同族)藤原氏の氏神社が石切神社のそばにあることが意味深に感じられる。

 

枚岡神社枚岡神社 クリックすると拡大できます

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