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2011年7月28日 (木)

【神社】尾久八幡神社 東京都荒川区尾久

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「大衆酒場弁慶」から続く

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弁慶を出て、都電の三ノ輪橋駅へ。三ノ輪橋は関東の駅百選にも選ばれた駅。といっても、個人的には「凄い」と思うほどのことはなし。ただ、駅にあったボンカレーなどの看板(右)がえらく懐かしい。都電で向かうのは王子。そこには、あの山田屋があるのだ。

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まだ強い日差しの日中だけに都電の冷房がありがたい。ただ、まだ3時過ぎ。山田屋は4時開店。王子までは25分ほどで着くので、どこかで時間を潰さないと、王子に早く着きすぎてしまう。

そこで、事前に狙っていた尾久八幡神社を狙う。駅は宮ノ前。そのまんまの駅名。実はその手前には熊野前と、神社のにおいのする駅もありますが、実はここには神社はない。和歌山の熊野大社より分祀された事が那智大社の記録にある。が、明治11年(1878)に一村一社のため、八幡神社に合祀され「熊野前」という地名のみが残されたとのこと。駅ができた時にはすでに廃社になっていたそうで。

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宮前に着くと、目の前が神社。何度か荒川線には乗ったことがありますが、なぜかここに神社があることは気付いてませんでした。

神社はなかなか立派な構え。拝殿が地面より一段高いところに鎮座してます。本殿の正面左横には厳島神社(右)も。神社の裏手には、御輿を納める倉庫が並んでいる。下の映像に見られるように、今でも祭りが盛んに行われている感じが。

創建は、正和元年(1312)に、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された頃と推定されています。鎌倉、南北朝時代ということになります。

この神社はかつて、神社の周りを取り囲むように堀が走っていました。八幡堀です。八幡堀は、「王子・上中里・田端・日暮里と流れる用水が八幡神社を取り囲んでいたもので、酒井新三郎抱屋敷と亀太郎屋敷との間(現在の西尾久3-4周辺)を経て、荒川(現在の隅田川)に注いでいた」ようです。「川を往復する船が八幡堀まで進み、交易で賑わい、神社の西側では下肥の積み下ろしも行っていたという」。(荒川区教育委員会掲示より)。江戸時代には当地周辺(旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村)の鎮守、明治期には村社だったそうです。

地図を見れば、確かに隅田川はすぐそば。ただ、神社より内陸部まで掘が伸びていたというのは今では想像できません。とはいえ、流通の要にあったことはたしかですから、神社周辺は結構栄えていたんだと思われます。神社というと、今では信仰の視点からしか見られませんが、かつては深く経済活動とも関係していたんですよね。

より大きな地図で チャリで観た風景+神社 を表示

当時の繁栄を表しているのが「上尾久村絵図」。当時の氏子が現在の町屋や北区堀船まで広がっていたことがわかるそうです。尾久八幡、あなどれません。

暑い中の参拝を終えて、いよいよ山田屋へ。

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コメント

大変失礼しました <(_ _)>

投稿: minumawani | 2011年7月29日 (金) 10:12

尾久在住レッズサポのものです。八幡神社が取り上げられていてビックリしました。
ただ、表題ですが、尾久は北区ではなく荒川区です。

投稿: 通りすがり | 2011年7月29日 (金) 09:48

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