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2015年8月

2015年8月23日 (日)

【参拝記】田縣神社(愛知県小牧市)

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 灼熱の道を楽田駅まで引き返し、20分に1本の小牧線に乗って隣駅の田縣神社前駅へ。

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 駅から木曾街道を少し南下した右手に田縣神社はありました。大縣神社の祭神の子孫、大荒田命の屋敷のあったところです。祭神は大荒田命の娘の玉姫命と御歳神。後者は豊饒の神として祀られることが多いですが、大和に天下った饒速日命の娘。東征した神武天皇を養子として迎えた人物です。ちなみに饒速日命の息子、天香山命(高倉下)は尾張氏の先祖です。この天香山命が饒速日命を祀ったのが尾張一宮の真清田神社です。

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 玉姫命は倭建命の東征に尾張氏を代表して従軍した健稲種命に嫁いだものの、健稲種命が従軍死。その後、実家のこの屋敷に帰っていたようです。健稲種命との間にできた息子はまだ幼かったため、健稲種命の妹の宮簀媛(ミヤズヒメ)が後見人になりました。彼女は尾張国の国造にもなっています。倭建命から草薙の剣を預かり、それを祀るために熱田神宮を創祀したのがこの宮簀媛です。

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 田縣神社ではちょうど茅の輪くぐりが設置されてました。茅の輪くぐりは饒速日命の父親、素盞鳴尊の説話に由来してます。

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 さて、拝殿の左奥には奥宮があるのですが、有名な豊年祭の時に使われる男根が祀られています。しかも、短い参道の両側には、男根や女陰に見立てた石が奉納されています。なんと鈴まで男根の形。拝殿の右には「珍宝窟」なるものまであります。そこには玉が2つ。

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 しかしいつからこういうことになったんですかね。豊饒の神、御歳命が祭神ということで子孫繁栄、縁結びにつながったようですが、いつ頃男根が出てきたのかw

 ちなみに豊年祭の時、この男根をかたどったシンボルを載せた山車が大縣神社まで練り歩くそうです。一方、大縣神社には女陰を祀る「於祖々祭(おそそ祭)」があり豊年祭と同日に開催されるようです。男根と女陰という組み合わせ。凄い神社です。
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2015年8月15日 (土)

【参拝記】大縣神社(愛知県犬山市)尾張二ノ宮

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  予想外の寄り道で時間を食ってしまい、歩く距離も増えてしまった大縣神社へ向かう。無風、快晴、高気温、高湿度に苦しめられながら、ゆるい坂道を登って約30分。ようやく大縣神社に到着。他の参拝者は車でガンガン上がってくる中、1人歩いて登る酔狂なおやじの図です。

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 さすが尾張二ノ宮。神社らしい風格のある鳥居と拝殿です。神社の建築形式は疎いのですが、昨日の大国霊神社もそうですが尾張式という作りで拝殿が長方形で結構長さがあります。尾張式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門(神門)と並ぶようですが、私が拝殿と言っているのは祭文殿と拝殿のことなのかもしれません。拝殿、本殿は参道に対して直角に左回転しています。もっともこれで南面することになるのでおかしくはないですが。

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 さて、大縣神社ですが、祭神は地域の豪族の祖、大縣大神。その子孫に大荒田命がいます。その娘の玉姫命が摂社に姫の宮として祀られています。彼女は尾張氏直系の健稲種命と結婚した人物。尾張氏と連携して尾張の開拓を進めた一族だったのでしょう。

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 境内には大国主命も摂社として祀られています。大国主命は古事記、日本書紀が成立したあと、一斉に新規に祀ったり、もとあった祭神に変えて祀るように指示がでた時に配祀された可能性があります。

 楽田駅をはさんで大縣神社の反対側にある青塚古墳は、この大荒田一族の墳墓とされており、全長123mの前方後円墳。その規模は県下第2位の大きさです。4世紀中葉ころの造営のようです。ちなみにこの古墳、小牧・長久手の戦いでは秀吉方が砦を築きました。

9__r姫石。鳥居の陰に隠れて見えないが女陰の形をしている

 古代史とは関係なさそうですが、大懸神社の「於祖々祭(おそそ祭)」は天下の奇祭。女陰をかたどった山車などが練り歩く。摂社の玉姫命を祀る姫の宮の裏手に姫石があり、これがなんと女陰をかたどったもの。

 これに対し玉姫命を主祭神とする田縣神社の豊年祭は男根をシンボルとする神輿が練り歩くというもの。この山車が大縣神社まで移動して合体と相成るそうです。

 田縣神社は大荒田命の屋敷があった場所。倭建命の東征で夫を亡くした後、玉姫命が実家に戻って遺児を育てた場所です。

13__r神社前の上り坂。この先に楽田駅がある

 さて大縣神社野参拝を終え、再び楽田駅まで徒歩で移動。小牧線を一駅乗って、田県神社前駅へ。この日、最後の訪問先、田縣神社にいざ。

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【参拝記】式内諸鑵神社(愛知県犬山市)

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 名古屋戦敗戦の翌日。傷心を振り払うようにして起床。天気は快晴。なのは良いですが、この日も酷く暑くなりそうな予感がたっぷり。

 昨日に引き続き名鉄に乗って、尾張二ノ宮大縣(おおあがた)神社に向かう。犬山線でいったん犬山まで北上、列車を乗り換えて小牧線を南下し、楽田駅で降ります。11時に到着。

 大懸神社までは2キロ弱の道のり。大した距離ではないのですが、陽射しが強すぎる。歩いてしばらくすると道の左手に鳥居が。そしてその奥の彼方にこんもりとした杜が見えます。石標には「式内諸鑵神社」とあります。ただ、読めないw小さな神社のようですが式内社ではあるようです(式内社:延喜式が成立した10世紀初頭に朝廷から官社として認識されていた神社)。

 たださえ暑いのにここで寄り道をする余裕はあまりないのですが、ついふらふらと吸い込まれるように遠くに見える神社へ歩き始めました。

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 長い参道(と言ってもただの一般道ですが)を数百メートル進むと、ようやく神社前に。神社はこんもりとした杜の中にあり、中に入るとひんやり涼しい。奥には素朴で小さな拝殿が見える。拝殿の前の広場では小学生がサッカーボールで遊んでいました。拝殿は小さいながら比較的最近建てなおした感じ。

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 ネットで調べてみると「諸鑵」は「もろくわ」と読むようです。祭神は建御名方命です。国譲りの際、出雲から諏訪に逃げたあの人物。であれば、なぜ諏訪神社という名前でないのか。「もろくわ」とはなにか。

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 奈良県御所市にある高鴨神社に阿遅鋤高日子根(アジスキタカヒコネ)という祭神が祀られていますが、この「スキ」は鉄器を意味するため、製鉄との関係も想像されます。一方、スキということで農業神というみたてもあります。

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  「クワ」も同様の意味なんでしょうか。ちなみに福島県の棚倉町にある都都古別(ツツコワケ)神社にも阿遅鋤高日子根が祀られていますが、こちらでは開拓神として認識されています。ただ、倭建命が東征した際、神である阿遅鋤高日子根が鉾を授け、苦戦していた倭建命を救ったという話も残っています。鉄器は農業にも戦いにも大きな影響を与えたのですから農業神と戦いの神の両方の性格があったのかもしれません。

 そうなると建御名方命と諸鑵の関係が分かりません。時代が下って諏訪神社は武人からの崇拝が高く、単にそうした経緯で勧請されることが多いのですが、式内社である以上、そういう関係でもなさそうだし。それとも鉄⇒鉄の武器⇒武人⇒建御名方なんでしょうか。考え過ぎかw

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 ちなみにこの神社、大縣神社の祭「於祖々祭(おそそ祭)」の際、ここから祭の隊列が大縣神社に向かうようです。この祭のシンボルは女陰。一方、大縣神社の摂社、姫の宮神社の祭神玉姫が主祭神になっている田縣神社(愛知県小牧市、楽田駅の隣駅のそばにあります)の「豊年祭」は男根がシンボル。この祭りのこの写真凄いです。

 諸鑵神社とこの祭の関係がいつ、どういう理由で発生したのかも気になります。単に隊列の出発場所としてちょうどよい位置にあっただけなのかもしれませんが。

 ちなみに玉姫命は大縣神社の祭神、大縣大神の子孫である大荒田命の娘で、熱田神宮に祀られている尾張氏の当主建稲種命に嫁いでいます。建稲種命が倭建命の東征で従軍死したため、実家の屋敷のあった田縣神社の地にもどったという話が伝わっています。

 で、結局、謎は謎のまま、炎天下の道を大縣神社に向けとぼとぼと歩くことになりました。

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2015年8月14日 (金)

【参拝記】尾張大国霊神社(愛知県稲沢市)

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 京都から名古屋に移動し、稲沢市にある国府宮(こうのみや)駅に着いたのが10時半。駅を降り立ち、数分ほど歩くと、南北に伸びる尾張大国霊(おおくにたま)神社の参道に出ます。

1_r_2 強い陽射しの中、参道は照り返しが激しく、くらくらするくらい。神社の参道といえば木々に囲まれ、木陰の下はひんやりとさえするのですが、この幅広い参道は全くそういった環境にありません。

3__r 参道を進むと巨大な二の鳥居?があり、更に進むと室町時代に作られたという豪壮な神門があります。室町時代のものが今に残っているのは凄い。門をくぐると正面に拝殿があります。一般的な拝殿に比べ、祈祷所のスペースが広く縦長なのが特徴です。

4__r室町時代に建設された神門

8__r_2左が神門、右が縦長の拝殿

 駅名の国府宮にあるように、この地は尾張の国の国府があったところ。国府のそばには総社という名の神社がよく建てられます。この大国霊神社も国府の設置とともに作られた神社です。国司が赴任した際、その国の主な神社をめぐるのですが、総社はそうした神社の祭神をまとめて祀る役割をもっていました。東京都府中市にある武蔵大國魂神社もそうした総社で、武蔵国の一之宮から六之宮までをまとめて祀っているため、「六所宮」と呼ばれています。

 大国魂神社がどの程度そうした総社としての役割をもっていたかは知りません。ただ、ここは国府の「宮」ではあるものの、尾張の一ノ宮でも二ノ宮でも三ノ宮でもないのは事実です。

 尾張の一ノ宮は大和からやってきた饒速日命の子孫である天香山命が饒速日命(天火明命)を祀った真清田神社(一ノ宮市)。

 二ノ宮はその天香山命の子孫である尾張氏と連携した大荒田命の祖先を祀った大縣神社(犬山市)。

 三ノ宮は倭建命から受け取った草薙の剣を祀った熱田神宮(名古屋市)です。祀ったのは尾張氏であり、創建後、熱田神宮を創始した宮簀媛(ミヤズヒメ)とその兄建稲種命も祀られるようになっています。宮簀媛は倭建命と婚約した尾張一族の女性。その兄の建稲種命は倭建命の東国遠征に水軍を率いて従軍した人物です。

 そんな中、この大国霊神社の祭神は尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)。一般に尾張の地主神とされています。ただ、名前が抽象的過ぎて、祭神の由緒がよくわかりません。もっとも一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮があるのですから、総社が特定の歴史的人物を祀る必要はなかったのかもしれません。

 ちなみに大国霊神社には敷地外に2つの別宮をもっています(正式には境内別宮)。いずれも今では住宅地に埋もれ、こじんまりとしています。神社の西南にあるのが大御霊神社、東北にあるのが宗形神社。

 大御霊神社の祭神は大歳神之御子。大歳神の息子という意味。大歳神は大和に入る前の饒速日命の通称で、九州や大阪以西にその名で祀られた神社が数多くあります、その饒速日命の息子というと数多くいますが、尾張に関係するのは、天香山命。一ノ宮に饒速日命を祀った人物です。ある意味順当な感じ。

10__r大御霊神社

 一方、宗形神社は田心姫(たごりひめ)が祭神。これは九州の宗像神社の3祭神の一人。素盞鳴尊と天照大御神都の間に生まれた三姉妹の長女。後に、大国主命との間に、阿遅鋤高日子根神(あぢすきたかひこね)と下照姫(したてるひめ)を産んだ人物です。阿遅鋤高日子根神は奈良の鴨氏の先祖であり、その後京都の下鴨神社を創祀した一族の先祖にあたります。

 なぜ、彼女がここに配祀されているかは不明。いつ頃そうなったかによって事情が見えてくるんでしょうが、そこまではよくわかりません。

 あまりの暑さに小一時間ほどで大国霊神社から撤退。12時過ぎには名古屋に舞い戻りました。宿泊する東横インに荷物を預け、いよいよサッカーモードに。仲間と事前打ち合わせの昼食を取った後、瑞穂スタジアムに向かいました。

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【参拝記】元祇園社(梛神社)&隼神社(京都市)

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 山鉾巡行から一夜明けた25日。この日は名古屋戦のために名古屋に移動する日。とはいえ、泊まっていた東横イン四条大宮のそばに元祇園社があるので朝食前に訪れてみる。

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 ホテルから5分ほどのところ四条通りに面して神社はありました。祇園祭の発端となった神泉苑での御霊会のため、姫路の広峯神社(黒田官兵衛の実家筋が神主)から勧請した牛頭天王(素戔嗚尊)の神輿を祀ったのが創祀。八坂神社の地に正式に牛頭天王を祀る際、花飾りの風流傘を立て、鉾を振って楽を奏しながらこの地から神輿を移動させたようです。

 当時ここが梛の林だったことから正式には梛(なぎ)神社と呼ばれています。

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Moto_r ちなみに拝殿は東面しています。四条通りに面した北門から入ると右手に拝殿が並んでいます。面白いのは、同じ境内に隼(はやぶさ)神社が梛神社と並んで立っていること。上の写真の向かって左側が梛神社、左が隼神社です。

 隼神社の詳しい縁起は不明ですが、他の地から移動してきたようです(同じ四条通り沿い)。祭神は建甕槌神 (たけみかづちのかみ)と経津主神 (ふつぬしのかみ)。この二人は出雲の国譲りの際、大国主命(素盞鳴尊の娘婿)に出雲の国譲りを迫った人物。その後、抵抗する建御名方命(大国主命の息子)を諏訪まで追いかけています。

 ご存知のように、建甕槌神は鹿島神宮、経津主神は香取神宮の祭神。建甕槌神は常磐地域に割拠してまつろわぬ天津甕星(天香香背男、出雲毛系?)の討伐を武葉槌神に指示しています。日立市にはこの天津甕星を封じ込めた大甕神社があります。祭神は武葉槌神。また、建甕槌神、経津主神は最終遠征の地である仙台の塩竈神社にも祀られています。

 ということで理屈から言えば、素盞鳴尊と建甕槌神、経津主神はあまり相性がよくないことになります。もっとも、八坂神社の素盞鳴尊はどちらかというと牛頭天王の顔をしているので深く考えない方が良いのかもしれません。

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 7時前の境内に、何人もの方がお参りにきていました。ホテルへの帰路、回り道をして町家の雰囲気が残る地区を散歩。そこに風呂屋も残っていました。

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 ホテルに帰り、朝食をとって、いざ戦いの地名古屋へ。途中、尾張の大国魂神社に寄ることにしています。

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【参戦記】2nd第3節H戦 レッズ1-2広島
押しまくっているのに逆転負け なんだか

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 試合の前日、床屋にいって、レッズサポの若い理髪師といつもの会話。よく試合を見ていて、的確な指摘をする彼。「明日は勝ちますよ」と断言。ま、不安は残るものの、四つに組めば勝てるかなと思った私です。

 先発は興梠、高木、武藤の3人。ディフェンダーは累積警告の那須に変わって永田が入りました。

 試合は、結局のところ、ひきこもり&カンターの広島にやられました。あまたあるチャンスを生かせず、関根のシュートで先制点をとったものの結果は逆転負け。前半、高木が撃ったPKが点にならなかったところで嫌な予感はしましたが、それを払拭するような試合展開に余裕をかましてたんですが、結果は最悪。

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 結局、広島の狙い通りカウンターで2失点。押せ押せの内容なのに負けてしまう不甲斐なさ。悔しさ。レッズの選手交代もちぐはぐで、選手を替えるほど状況が悪化する展開。
 試合後、戦犯のようにタオルをかぶって挨拶に回る高木が不憫でなりませんでした。

(第3節H戦 レッズ1-2広島、7月19日、日曜、吉田寿光、ゴル裏、41,492人、晴、KO 19:04)

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2015年8月13日 (木)

【参戦記】2nd第4節A戦 名古屋2-1レッズ
よりによって永井と矢野かよ

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 京都の祇園祭を楽しんで、おっとり刀で乗り込んだ名古屋戦。何故か瑞穂で開催。行くぶんには楽ですが、チケットをとるのが面倒。とは言え、今回は団体でとったので楽勝。ただ、試合前に立ち寄った神社で結構体力を使って大変でした。あつすぎる!

 国体モードのスタジアムは、横移動の通路がスタンドの一番上しかないので、ここが混む。災害時、これでは大変なことになると思いますが、昔の人はどう考えていたんでしょう。売店も貧弱。足の便がいいだけで、プロの試合を開催する場所ではないでしょう。

 さて、前目のメンバーは興梠、武藤、高木。高木はいよいよ先発メンバー。ただ高木に運がない。というかチームの運も奪っているという恐ろしさ。

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 へんに引きこもらない名古屋は相性が良いので、試合展開はレッズ押し。前半19分にオウンゴールで先制点を取ったときには、今日も勝てます、と思ったのが大間違い。わずか1分後にカウンターで永井にボールが渡り、サイドに蹴られて川又に決められ追いつかれる。あまりにきれいなカウンターにしょうがないとは思いましたが、セカンドステージでは、こうした軽いプレーが多いのが気になります。

 守りを意識して無敗での第一ステージ優勝後、やや守りの意識が弱まったのか。悩ましい感じです。

 同点後、すぐに森脇がレッドをくらって退場。暗雲が立ち込めたものの、前半はそのまましのいだのですが、後半15分ほどにまたカウンターでよりによって矢野に決められる。左サイドからのシュート。あれになぜか弱いんだよなぁ。

 その後、結局、追いつくことはできず敗退。内容はいいけれど、ここぞというところの脆さが出てしまう2ndステージ。やや不安です。

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第4節A戦 名古屋2-1レッズ、7月25日、土曜、廣瀬 格、ゴル裏、17,624人、晴、KO 19:04)

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【観戦記】2ndステージ 第5節 レッズ1-甲府1 カウンターの1失点
 悔やんでも悔やみきれない引き分け

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 勝利から見放された第2ステージ。平日19時開催の試合は、会社をぬけだすのが至難の業。何とかKOに間に合う形でゴル裏到着。

 引きこもりの甲府。それを崩しにかかるレッズ。そういう意味では狙い通り、崩せているんですが、いかんせん点が決まらない。高木は今日もまたバーに当てるシュートを披露。

 なんとか関根がPKを獲得して、阿部ちゃんが変な余裕キックで先制。  圧倒的にせめているので、怖いのはカウンターと思っていたら、案の定。興梠が決定的なシュートを決めきれず、そこからこぼれたボールがカウンターになって、同点。

 岡本拓也がその際のディフェンスで負傷し交替。高い代償となりました。 これで、第二ステージ14位と厳しい状況。辛いす。

 試合中、陽介がしきりに股間を触るのでなんだろうと仲間と言っていたのですが、負傷してたんですね。しかし代わりに入った青木が縦へのパスを入れられないことに失望。秀仁も移籍し次世代を担わないと行けない青木よ頑張ってくれ!

第5節H戦 レッズ1-1甲府、7月29日、水曜、扇谷健司、ゴル裏、22,363人、曇、KO 19:04)

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【観戦記】2ndステージ/第6節A戦 新潟1-2レッズ
キレキレ司が5試合ぶりの勝利をもたらす 何食えば良い?

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 今回は諸事情で遠征を断念。ホテルも新幹線も予約してたんですが...。で、KO前までに食事を作りTV観戦モードに。山形戦以来のTV観戦。

 とにかく司が演出した試合。第一ステージもキレキレだったのに怪我でこのところ先発できなかった司が同点弾を演出、決勝点となる華麗なミドルを決めて松本戦以来の5試合ぶりの勝利。司を愛してる私としてはやはり行くべきだったと反省(無理でしたが)。家で大声をあげて顰蹙をかいました。

 前の3人はズラタン、司、高木。東アジアに出た興梠、武藤はお休み。一方、西川、槙野は先発です。

 それにしても新潟の豹変ぶりにびっくり。引きこもりどころか、中盤でのプレスと攻守の切り替えが早くなり、前半はタジタジ。先制点の他にもう何点か失点していてもおかしくない試合でした。しかもレオシルバを欠いていてこれですから、このまま行けば残留は確実な感じ。

 一方のレッズはこの数試合勝利できなかったものの内容はそれほど悪くなかったと思っていましたが、実のところやや下降線をたどっている感じもします。決定機を決められなかったのは半分運もあったと思いますが、半分は実力かもしれません。この試合もギリギリ勝てた試合ですが、本調子ならもう少し良い内容の試合ができたかもしれません。次節、復活のきっかけをつかんでほしいものです。

 この日の勝利で14位から9位にアップ。年間では得失点差で広島についで2位。広島が鹿島に負けてくれて助かりました。

 それにしても、髪型まで変えた高木はこの日も運がない。テクニカルに撃ったシュートがこの日もポストにあたって入らない。絶妙なアシストもゴールにつながらない。サッカーの神様はなにが気に喰わないんでしょう。一度吹っ切れば爆発しそうなんですがねぇ。8月1日に有志10人で集まって中断明けの勝利と高木の厄落としをしたんですが、まだ効き目はないようです。

 次節、期待してます。ちなみにこの日、李をなぜ入れたんでしょう。狙いがよくわかりませんでした。


第6節A戦 新潟1-2レッズ、8月12日、水曜、村上伸次、自宅、27,447人、晴、KO 19:03)

※しかし今年は村上が多い。それでも相性がいいのは不思議。
 

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【参拝記】建部神社(近江国一宮、滋賀県大津市)

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 山鉾巡行⇒御供社⇒神泉苑の次は滋賀県の建部神社へ。二条城前駅から東西線を経て、山科駅でJRに乗り換えて膳所へ。ここからは京阪線で唐橋前へ。後は徒歩で倭建命を祀る建部神社に向かいます。

 倭建命については、説話くさくて(フィクション色が強すぎて)、かつてはあまり関心がなかったというのが事実。古代史と関係ないと決めつけてたんですが、その後、いろいろ本を読むにつけ、少なくとも東国の遠征については、何らかの史実があったんだろうなと思い始めたのが数年前。それからは結構関心をもつようになりました。

 特に尾張氏との関係が面白いのですが、今回訪れた建部神社は尾張氏とは関係はありません。倭建命は何人もの豪族の娘と婚姻関係を結んでいます。ようは各地域の有力者と婚姻関係を結んでいく政策。この建部神社は倭建命の妻の一人である布多遅比売命(ふたじひめのみこと、父は近江安国造)とその息子、稲依別王(いなよりわけのみこ)が創建したしたもの。倭建命の父親である景行天皇の指示によるものです。

 ちなみに倭建命が草薙の剣を預けたのは尾張氏の宮簀媛(ミヤズヒメ)。尾張国造の乎止与命(オトヨ)の娘で、倭建命と婚約した人物。婚約指輪のようなものだったんでしょう。ただ、遠征後、倭建命が死んでしまうので結婚はしていません。

 その彼女が草薙の剣を祀る熱田神宮を創始(尾張三ノ宮)。兄の建稲種命が倭建命の東国遠征時に遭難死したこともあり、幼い甥っ子の代わりに一族を代表して尾張の国造になっています。ちなみに尾張氏は神武天皇の東征より前に、大和に天下った出雲系の饒速日命の息子の天香山命の子孫です。

 この他に倭建命は両道入姫皇女(ふたじのいりひめのひめみこ、垂仁天皇の皇女)を妻にしており、こちらの息子は足仲彦天皇(仲哀天皇、神功皇后の夫、応神天皇の父)。これがメインストリーム。

 吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)は倭建命の東国遠征に従軍した吉備武彦の娘。入水で有名な弟橘媛(おとたちばなひめ)は大和の饒速日尊の後裔とされる穂積氏忍山宿禰の娘です。

P1090103瀬田の唐橋

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 さて、建部神社。有名な瀬田の唐橋を渡って、しばらく歩いたところにあります。瀬田の唐橋は、古代から、何度も重要な戦いが行われた要衝。神功皇后が三韓征伐から帰ってくる際、誉田別尊(ほむたわけのみこと、後の応神天皇)の異母兄弟である香坂皇子と忍熊皇子が抵抗。忍熊皇子は神功皇后の家来である武内宿禰の軍に攻められ、瀬田で自害しています。また、壬申の乱(671年)では、大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となったことでも有名。話はそれますが、神社の近くの交差点の名前が「神領」というのも面白い。  

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 神社は道路から左斜めに入る形で参道があり、しばらくすると参道が直角に左に曲がっています。その先に神門があり、新門をくぐると祈祷書(拝殿?)があり、その奥に別棟の本殿があります。なかなかの風情。

 面白いのは倭建命の事跡を語る看板が参道に並んでいること。それもアニメ風のイラスト付き。倭建命はイケメン、弟橘媛は美女で描かれています。 

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 倭建命の事跡を伝えるのはいいのですが、弟橘媛のみが紹介されていて、建部神社を創祀した布多遅比売命は出てきません(しかたないですが)。布多遅比売命はどんな思いでみてるんでしょうか。

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 神門には風鈴が多数ぶら下げてあり、その音が酷暑をやや和らげてくれてました。神門をくぐると正面に3本杉と祈祷所があります。神門に掲げてあった神紋はこの3本杉をモチーフにしています。

 祈祷書はいわゆる拝殿ともちょっと違う感じ。その奥に本殿があります。本殿は同じ大きさのものが並んでいて、向かって右が大己貴命、左が倭建命。

3honnsugitokitouso_r 三本杉と祈祷書。奥に本殿がある

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右下が倭建命、右上が大己貴命

 神門を入って右手には橋があり、湧水池があります。湧水池にかかった橋を渡ると草野姫命(かやのひめ)が祀られている大野神社がる鎮座。地主神らしいですが、『古事記』では、山の神である大山祇神との間に、4対8柱の神を生んだことになっている人物です。なんで大野神社という名前なのかは不明。同じ滋賀県の栗東にも大野神社がありますが、こちらは菅原道真を祀ったもので関係はなさそう・ちなみにこの神社、嵐の大野くんとのからみで嵐ファンが訪れるので有名。

Oonozinnzya_r大野神社

 建部神社の面白いのは、創祀者の布多遅比売命(ふたじひめのみこと、父は近江安国造)とその息子である稲依別王(いなよりわけのみこ)も祀られているところ。さらに倭建命の両親である景行天皇と播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)、そして東国遠征に従った部下も祀られています。一族郎党勢揃いw

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 部下としては娘を倭建命に嫁がせた吉備臣武彦と東征の折、甲斐の酒折宮で倭建命から靭部(ゆげいのとものお)を賜った大伴連武日が行事神社に祀られています。弓取神社には弟彦公(三重の弓矢の名人)が、箭取神社 (せんとりじんじゃ)には石占横立、尾張田子之稲置、乳近之稲置が祀られています。この3人は弟彦公が連れてきた部下。

 もっとも建稲種命など尾張系の人物は祀られていません。部下というには勢力が大きすぎるんでしょう。

 小一時間ほど滞在して、再び祇園祭の京都へ戻りました。

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関連書籍

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2015年8月10日 (月)

【参拝記】御供社&神泉苑(京都)

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 山鉾巡行を見終わって、四条大宮のホテルに向かい、荷物を預け昼食。と言っても四条大宮の立ち飲み「庶民」ですがw 開店の11時半から15分ほど遅れての入店でしたがもうほぼ満席。かろうじてスペースを確保して安くておおぶりの刺し身をつまみに昼飯を楽しみました。

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 食後、腹ごなしをかねて徒歩で神泉苑に向けて。距離にして約1キロほど。神泉苑は平安遷都とほぼ同時期に、造営された庭園。古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を整備。当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西240メートルもあったようです。今の二条城程度の広さはあったことになります。二条城が作られた時、一部を取り込まれた上に、さらに敷地が縮小して現在はこじんまりとした場所になっています。ここが祇園祭発祥の地。

 雨乞いなどに利用されていたものの、「貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われた。貞観11年(869年)には神泉苑の南端に66本(当時の律令制度の国の数)の鉾を立てて祇園社から神輿を出し、現在の祇園祭の元になったと言われている」(Wikipedia)ようです。

 ということで、神泉苑を目指して北上していたら三条通の商店街にぶつかり、右を見ると鳥居を発見。なんだろうと思ったら、これが上記の「66本の鉾を立てた神泉苑の南端」に位置する「八坂神社三条御供社」だったのです。

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 この存在を知らず偶然見つけた次第。今では商店街にある小さな神社ですが、歴史的には結構大事なスポット。調べてみると祇園祭の際、3基の神輿は別々のルートをとりながら市内をめぐるものの、必ずこの御供社は通る。それには祇園祭発祥の地という背景があったんですね。

 神泉苑はここから数百メートル行ったところにありますが、今や、かつての壮大な庭園を想像するのは難しい感じ。昨年、空海が勘定した善女竜王社勧請1200年記念事業として池の水を55年振りに抜いて善女竜王社本殿等の解体・修復を行ったようで、小奇麗な雰囲気ではありましたが。

Shinnsennen_r神泉苑の鳥居

Shinseen2_r善女竜王社

Shinsenen3_r法成池



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【参拝記】八坂神社(京都市)祇園祭

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Oohuner

 行ってみたいと思っていながら、行ったことのない祇園祭。ちょうど今年の山鉾巡行が金曜日ということで、翌日の名古屋アウェイ戦にからめていけると思いつき決行。どうせ名古屋に行くのだから、京都までの列車賃と京都のホテル代を足すだけで見られるということで行かない手はない。

 ということで、金曜日に有給休暇を取って京都へ。もっとも、巡行は9時半からなので早い新幹線で行かねばなりません。大宮以北に住んでいる身としては始発が6時前なので、新幹線の始発には乗れません。

 結局10時前に四条烏丸駅に到着。コインロッカーに荷物を入れて山鉾巡行見物の場所探しへ。四条烏丸あたりは人もまばらでしたが、河原町方面に行くに従って混んでくる。山鉾が方向転換する四条通河原町交差点にある高島屋あたりは凄い人でした。それにしても中国人観光客が多いのにはびっくり。神戸戦のときもそうでしたが、今年は中国人観光客の多さに驚かされます。

 平安時代の疫病退散祈願が起源の祇園祭なので、個人的にはそんなに触手が動かないのも事実。中世の話ですからw ただ、八坂神社が素盞鳴尊が絡んでいるので一応古代史好きとしては、興味を引かれますが、ここの素盞鳴尊は習合した牛頭天王の顔がメインなので、古代史的視点からはそれほどのネタがありません。

Mikoshir

 とは言いながら、そこは素盞鳴尊からみだけにワクワクするものはあります。駅をでて八坂神社方面に歩き、四条通りと寺町通りの交差点あたりに祭りの期間中、神輿が鎮座する御旅所がありました。3基の神輿が並んでます。これが夕方、各々違うルートで市中を回って、八坂神社に戻ります。ただ、1箇所いずれの神輿も同じ場所を通る。そこがまた面白い。それについては次回

 真ん中が中御座で素戔嗚尊が鎮座。東御座が妻の櫛稲田姫命。西御座が子供たちの八柱御子神。この八柱の存在にしびれますねw

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 出雲に残った八島篠見神、朝鮮から日本に木々の種を持ち込んだ五十猛神、五十猛と行動を共にした大屋比売神と抓津比売神、後に饒速日として九州、中国、そして大和に天下った大年神、稲荷神社や食べ物と縁の深い宇迦之御魂神、五十猛と同じ樹木の神(というか五十猛と同一人物とみられる)大屋毘古神、そして末子相続者として素盞鳴尊の相続者であり、大国主命(大己貴命)を婿に迎えた須勢理毘売命。息子、娘たちの勢揃い。

 この空気を吸えたただけで満足。この後、凄い人出の中、巡行を楽しみました。ちなみにこの日の後祭りの山車の数は10、前祭りの23にくらべ山車の数が少ないんですね。もっとも、禁門の変で消失し、昨年、150年ぶりに復活したばかりの大船鉾を見られたのは良かったです。この後、祇園祭発祥の地、御共社、神泉苑を経て、滋賀の武部神社に向かいました。

Dashi1

Dashi4    烏丸通り河原町での鉾の方向転換

Dashi5r    150年ぶりに復活した大船鉾

Nakamiza    夕方、八坂神社に向け渡御を始める中御座神輿

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