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2015年9月

2015年9月13日 (日)

【参拝記】生田神社(神戸市)

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 2015年第一ステージ優勝の翌日。ホテルを出る前に生田神社へ散歩。何度も来たことがあるのですが、何故か生田の森に入ったことがないのでちょっと見学へ。

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拝殿から楼門側を振り返る

 生田神社は同じ兵庫県内にある廣田神社、長田神社と並んで神功皇后絡みの縁起のある神社。神功皇后が三韓征伐の帰路、船が動かなくなったので神託を受けたところ、海上五十狭茅(うながみのいさち)に自分を祀らせろという神託が稚日女尊からあったというのが創祀のきっかけ。神戸周辺の神社によくある縁起話です。前日に参拝した敏馬神社でも「船が動かなくなる」話が残っています。こちらの祭神は素盞鳴尊(ただしお告げは「美奴売神(ミヌメ)」からのもの)。

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 もともとは新幹線の新神戸駅の裏手にある布引山に祀られていました。この地には有名な布引の滝があります。ちょうど神戸戦参戦の日に訪れていました。

 その後、生田神社は799年(延暦18年)4月9日の大洪水をきっかけに現在の地に移ってきたとされています。神戸市中央区の一帯が生田神社の社領で、そこには税を納めて神社を支える氏子のような人たちがおり、その地を「神戸」と呼んでいました。これが神戸の語源となっています。

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布引の滝。新神戸駅裏手の布引山にある

 祭神の稚日女尊は一般に天照大神のこととも、その妹とも言われていますが、神功皇后との関係が感じられません。稚日女尊は和歌山県の玉津島神社にも祀られています。ここでは、神功皇后が仲哀天皇死後の跡目争いで忍熊皇子と対立した際、和歌山に向かった神功皇后を稚日女尊が加護したとなっています。

 稚日女尊は下照姫ではないかという説もあります。下照姫は大国主(素盞鳴尊の娘婿)と田心姫命(素盞鳴尊と天照大神の子供、宗像三神の一人)の娘で、神武天皇の東遷の際、大和のウマシマジ(饒速日の息子)と交渉にあたった味金且高彦根(アジスキタカヒコネ)神の同母妹となります。つまり素盞鳴尊の孫ということです。素盞鳴尊のフリークである神功皇后と少し関係が出てきますw

 ちなみに祭祀を担当した海上五十狭茅は生田神社の社家(神職)の先祖。忍熊皇子側について神功皇后、応神天皇と戦った将軍「五十狭茅宿禰(いさちのすくね)」の息子とされています。海上五十狭茅がどういう経緯で神功皇后側についたのか、親子で敵味方に別れるというのはよくあることですが、興味深い話です。

 また、生田神社には「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地、「灘五郷」発祥の地ということから松尾神社が摂社として祀られています。これも神功皇后が絡んでます。三韓征伐の後、新羅から使者が毎年訪れ、その際、敏馬神社のある「敏馬の泊」で生田で醸造した酒をふるまったのが酒造りの始まりとされています。その酒は、廣田神社、長田神社、生田神社、片岡神社から50束ずつ集めた稲で造ったもの。

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生田の森の入口

 さて肝心の生田の森、入口までいくと午前10時から開門となっていましたが、7時過ぎのこの時点で入れました。こじんまりとした森。かつては広大な広さを誇り、一の谷の戦いの時に平家軍が陣を置いたとのことですが、その面影はありません。呆気無く散歩は終了。ホテルに帰って、再び神社めぐりです。

 

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2015年9月12日 (土)

【参戦記】2ndステージ/第10節レッズ1-0
来た~!高木の一発で勝利 何食えばいいの?

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 いや~勝ってよかった。プレーの内容は柏を圧倒。が、何故か点が取れない。前半、興梠のシュートを好プレーで止めてから当たり始めた菅野から点が取れない。これで引き分けたり、負けたりしたら悔しくてたまりませんからね。

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 結局、途中交替で入った高木がゴールを決めて決勝点。88分という間際の間際の得点で勝利できました。

 ACLに出る柏のために金曜日の夜開催という試合。売上減った分補填してくれるんですか?

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 この日の柏は縦へのスピードある攻撃がほとんどできず、レッズはボールを回し放題、好き放題のプレーから柏のゴールに迫りまくり。前半だけでも3点以上点が履いいても入ってもおかしくない展開。柏はACLのことを考えエコモードで入り、後半どこかでスイッチを切り替えて戦術かと思ったのですが、後半もスイッチが入りきらず仕舞。全体に身体が重い印象。ACL疲れが蓄積ですか?それとも試合の冒頭、レッズの素早い動きに対応できず、その対応に追われているうちに柏らしさを出せなくなったのか。

 この日の陽介は絶好調。ボランチの位置から攻撃を組み立てて攻めていく姿は、まるでクラシックの指揮者。司もきれきれでスピードもあり、チャンスを作り続ける。関根も右サイドでやりたい放題。武藤が何度かのチャンスをものにできず、消えていったのが残念。それにしても槙野といい、西川といいご苦労様でした。代表戦帰国から中1日の試合ってなにそれ。

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 ともかく高木のゴールでサポーターが喜ぶこと喜ぶこと。皆同じ気持だったんだなと改めて思いました。試合後の歌い上げで見る高木の笑顔。白い歯を初めて見た気がします。

 審判は木村。神経質で自尊心を傷つけられると過剰に反応する怖い審判。この日も後半、槙野がファウルを取られて、木村に食って掛かってからは随分仕返しをくらいました。

 攻め続けた試合ながら前半の西川とクリスチアーノの1対1、後半の工藤のポストにあたったシュートと怖いシーンも。サッカーって怖い。

 悪い意味で目立ったのは柏の山中。テクニックで劣るところを身体でごまかそうとするので、危険なプレーが多くて怖かった。ちなみに槙野は次節イエロー累積で出場停止。

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 しかし、これでホームでの試合は後3回しかない。1年が早すぎます。

 KOが19時半だった試合。試合開始直前にようやく到着。この日半額だったビールを買って席についたら大粒の雨。会社を出るとき、空の様子がおかしかったので買っておいたレインコートが役に立ちました。そういえば芝が荒れている。こんなに荒れたピッチをみるのは初めて。長雨と日照不足のせい?

 試合後はいつもの様に4人でタクシーに乗って浦和の桜扇へ。終電で帰宅。

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 ※長い間、レッズの試合のブログをサボってしまいました。その間の試合の感想をとりあえず書いときます。

●2ndステージ/第7節H戦 8/16(日)18:00 湘南ベルマーレ 1-0

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 苦手な印象がある湘南ですが、この日は内容がよく、相手を圧倒。しかし今日の試合と同じく点が入らない。槙野の1点に救われ勝利。試合前はいずみや。試合後は浦和の磯丸水産。木村博之

●2ndステージ/第8節H戦 8/22(土)18:30 ベガルタ仙台 3-1

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 前半早い時間に取った柏木のフリーキックの得点から始まり、武藤の得点、後半入ったズラタンの得点で3点。前半にリャン・ヨンギに同点にされながらも突き放した試合。前節と同様粘り腰が見られて第一ステージのような強さが復活したかと感じさせた展開でした。しかし、この後の2試合にあんな暗雲が立ち込めるとは。試合前、いずみや。試合後、浦和桜扇。家本政明

●2ndステージ/第9節 8/29(土) 18:30 横浜F・マリノス 4-0

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 屈辱の4失点無得点の負け。俊輔のFKによる失点は仕方ないけれど、その後つまらん失点で自滅の感も。やることなすこと全部マリノスに芽を摘まれて何もできない。采配の差が出た試合。試合前、桜木町のゴールデンもつで生ホッピー。試合後、浦和の魚盛で反省会。佐藤隆治

●ヤマザキナビスコカッップ準々決勝<第1戦> 9/2(水) 19:00 アルビレックス新潟 5-0 (TV観戦)
 屈辱の5失点!無得点負け。大谷被弾しまくり、点も取れない。ほぼナビスコカップ消滅。今年も埼スタが決勝なのに...。平日の新潟アウェイなのでテレビ観戦。無念。吉田寿光

●ヤマザキナビスコカップ準々決勝<第2戦> 9/6(日) 19:00 アルビレックス新潟 3-0

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 日曜日夜の試合。流石に人が少ない。それでも李が頑張り3得点。その後、1点でも取れれば同点まで行けるかもと思ったものの、流石に厳しく、ナビスコ終了。松尾 一。PKとなったプレーにイエローがでなかった不思議。松尾曰く「誰だかわからなかった」w 試合後、浦和の魚盛で反省会。

(第10節H戦 レッズ1-0柏、9月11日、金曜、木村博之、ゴル裏、29,169人、晴、KO 19:36)


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2015年9月 6日 (日)

【参拝記】敏馬神社(神戸市)

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 2015年第一ステージ優勝をかけた神戸戦前に参拝。三ノ宮の東横インに荷物を預けた後、阪神電車で2駅の岩屋駅へ。神社へはそこから5分ほどです。神社の前は国道2号線が走っています。

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 西日本や北九州には神宮皇后にまつわる故事が数多く残っていますが、神戸もそうした話の多い地域。

 神社は丘陵地の斜面に立っています。ちょうど海に突き出た岬のような立地です。正面は平地でかつては敏馬(みぬめ)浦という浜がひろがっていたところです。また神社の東側は古代「敏馬の泊」と呼ばれた港があったところ。奈良中期以降、大輪田の泊に港が移るまで西国や中国への船旅にとって重要な役割をになっていました。

 ちなみに大輪田の泊はその後平清盛が拡張した港。我々がサッカー観戦するノエビアスタジアムのあたりになります。

 そうした港に絡んだ話がいろいろ残っていて、それも面白い。曰く畿内から船出した人たちが生駒山を眺められる最後の地であるここで一泊し、西へ船出した、曰く、畿内に入る前の禊の場所だった、曰く、大和に向かった新羅人が畿内に向かう前、生田神社で醸した酒をここで飲んで身体を清めたなどです。 そういえば、三ノ宮にある生田神社の摂社に松尾神社(酒の神として有名)があり、そこの説明板にも同様のことが書かれています。江戸期には酒蔵が多くあった場所で、摂社には松尾神社もあります。

 「十三のいま昔を歩こう」というサイトの「神戸アースダイバー・西求女塚古墳・処女塚古墳」というページに当時の海岸線は再現した地図が載っています。これを見ると敏馬の泊が畿内に入るための入口ということがよくわかります。地図はこちら

 神社の境内にはかつての敏馬浦の写真や地図が展示されていてなかなか参考になります。下の写真もその一つです。室町時代の地図ですが、敏馬神社(岩屋とあるところ)の前がすぐ海岸線になっていることや近くにある3つの古墳も描かれています。

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 この古墳には一人の美女をめぐって争った2人の男性とその女性が葬られているという説話が残っています。味泥(西求女塚=求婚した男性)、東明(処女塚=求婚された女性)、住吉(東求女塚=求婚したもう一人の男性)とあるのがそれです。実際のところは3~4世紀ころの地域の有力者のもののようです。大和朝廷が中心となって広まった前方後円墳ではなく前方後方墳の流れを組む古いものです。

 ちなみに神功皇后の三韓征伐=敏馬神社の創祀は神功皇后摂政1年の201年ということになっていますが、かなり時代的に盛られており、実際は3世紀後半から4世紀あたりのはず。これらの古墳と時代的にかなり近い感じがします。

 敏馬神社の前は昭和初期ころまでは、風光明媚な敏馬浦を訪れる人向けの料亭や芝居小屋が立っていたようです。下の写真は昭和4年ころのもので、近くに海岸があり、そこに浮かぶ船も写っています。

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 さて、肝心の神社の縁起ですが、神功皇后が三韓征伐の前に神前松原(大阪府豊中市、阪急神埼川駅そば)で神集いをした際、美奴売(みぬめ)山の杉の木で船を作れとのお告げを受け、その通りにしたところ遠征に成功したというもの。征伐後(香坂王と忍熊王との戦いの前?)、この地を通り過ぎようとすると、船が動かなくなり、それを神のお告げと感じた神功皇后がここに神社を祀ったというもの。もっとも、船が動かなくなる話は近くの神社にも残っていて敏馬神社だけの話ではありません。

 祭神は素盞鳴尊。神宮皇后は素盞鳴尊フェチで至るところで素盞鳴尊を祀っていますから関係無くは無いですが、船が動かなくなった時のお告げは水の神「美奴売神(ミヌメ)」によるもの(ちなみに「船が動かない」話は生田神社にも残っています。その時の神は稚日女尊とされていて、食い違います)。素盞鳴尊は後世祀られた可能性があります。古事記、日本書紀が編纂される前の時代において、素盞鳴尊の立ち位置が大きかったことを思わせます。神功皇后の義父となる倭健命も偉大なる武人として素盞鳴尊をさかんに祀っていますが、時代の感性としてそういうものだったということでしょう。もっとも、のちに天照大神も配祀されたようですが、主祭神はあくまで素盞鳴尊です。

 

 ちなみに神功皇后絡みの説話のある神社は、欽明天皇の時代、各地に残る神功皇后の説話にもとづいて神社を祀れという勅令に合わせて作られたところが多いという説があります。そうだとすれば、「船が動かない」故事にもとづいて、複数の神社が創祀された可能性もあります。

 欽明天皇がこうした勅令を出したのは、応神天皇の5世と言われる継体天皇の息子だからという説があります。継体天皇はそれまでの皇統から大きく外れた血筋にあり、存立の基盤は5世前の応神天皇しかありません。応神天皇の母である神功皇后の事跡を称える勅令はそのためという話です。

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