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2015年9月 6日 (日)

【参拝記】敏馬神社(神戸市)

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 2015年第一ステージ優勝をかけた神戸戦前に参拝。三ノ宮の東横インに荷物を預けた後、阪神電車で2駅の岩屋駅へ。神社へはそこから5分ほどです。神社の前は国道2号線が走っています。

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 西日本や北九州には神宮皇后にまつわる故事が数多く残っていますが、神戸もそうした話の多い地域。

 神社は丘陵地の斜面に立っています。ちょうど海に突き出た岬のような立地です。正面は平地でかつては敏馬(みぬめ)浦という浜がひろがっていたところです。また神社の東側は古代「敏馬の泊」と呼ばれた港があったところ。奈良中期以降、大輪田の泊に港が移るまで西国や中国への船旅にとって重要な役割をになっていました。

 ちなみに大輪田の泊はその後平清盛が拡張した港。我々がサッカー観戦するノエビアスタジアムのあたりになります。

 そうした港に絡んだ話がいろいろ残っていて、それも面白い。曰く畿内から船出した人たちが生駒山を眺められる最後の地であるここで一泊し、西へ船出した、曰く、畿内に入る前の禊の場所だった、曰く、大和に向かった新羅人が畿内に向かう前、生田神社で醸した酒をここで飲んで身体を清めたなどです。 そういえば、三ノ宮にある生田神社の摂社に松尾神社(酒の神として有名)があり、そこの説明板にも同様のことが書かれています。江戸期には酒蔵が多くあった場所で、摂社には松尾神社もあります。

 「十三のいま昔を歩こう」というサイトの「神戸アースダイバー・西求女塚古墳・処女塚古墳」というページに当時の海岸線は再現した地図が載っています。これを見ると敏馬の泊が畿内に入るための入口ということがよくわかります。地図はこちら

 神社の境内にはかつての敏馬浦の写真や地図が展示されていてなかなか参考になります。下の写真もその一つです。室町時代の地図ですが、敏馬神社(岩屋とあるところ)の前がすぐ海岸線になっていることや近くにある3つの古墳も描かれています。

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 この古墳には一人の美女をめぐって争った2人の男性とその女性が葬られているという説話が残っています。味泥(西求女塚=求婚した男性)、東明(処女塚=求婚された女性)、住吉(東求女塚=求婚したもう一人の男性)とあるのがそれです。実際のところは3~4世紀ころの地域の有力者のもののようです。大和朝廷が中心となって広まった前方後円墳ではなく前方後方墳の流れを組む古いものです。

 ちなみに神功皇后の三韓征伐=敏馬神社の創祀は神功皇后摂政1年の201年ということになっていますが、かなり時代的に盛られており、実際は3世紀後半から4世紀あたりのはず。これらの古墳と時代的にかなり近い感じがします。

 敏馬神社の前は昭和初期ころまでは、風光明媚な敏馬浦を訪れる人向けの料亭や芝居小屋が立っていたようです。下の写真は昭和4年ころのもので、近くに海岸があり、そこに浮かぶ船も写っています。

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 さて、肝心の神社の縁起ですが、神功皇后が三韓征伐の前に神前松原(大阪府豊中市、阪急神埼川駅そば)で神集いをした際、美奴売(みぬめ)山の杉の木で船を作れとのお告げを受け、その通りにしたところ遠征に成功したというもの。征伐後(香坂王と忍熊王との戦いの前?)、この地を通り過ぎようとすると、船が動かなくなり、それを神のお告げと感じた神功皇后がここに神社を祀ったというもの。もっとも、船が動かなくなる話は近くの神社にも残っていて敏馬神社だけの話ではありません。

 祭神は素盞鳴尊。神宮皇后は素盞鳴尊フェチで至るところで素盞鳴尊を祀っていますから関係無くは無いですが、船が動かなくなった時のお告げは水の神「美奴売神(ミヌメ)」によるもの(ちなみに「船が動かない」話は生田神社にも残っています。その時の神は稚日女尊とされていて、食い違います)。素盞鳴尊は後世祀られた可能性があります。古事記、日本書紀が編纂される前の時代において、素盞鳴尊の立ち位置が大きかったことを思わせます。神功皇后の義父となる倭健命も偉大なる武人として素盞鳴尊をさかんに祀っていますが、時代の感性としてそういうものだったということでしょう。もっとも、のちに天照大神も配祀されたようですが、主祭神はあくまで素盞鳴尊です。

 

 ちなみに神功皇后絡みの説話のある神社は、欽明天皇の時代、各地に残る神功皇后の説話にもとづいて神社を祀れという勅令に合わせて作られたところが多いという説があります。そうだとすれば、「船が動かない」故事にもとづいて、複数の神社が創祀された可能性もあります。

 欽明天皇がこうした勅令を出したのは、応神天皇の5世と言われる継体天皇の息子だからという説があります。継体天皇はそれまでの皇統から大きく外れた血筋にあり、存立の基盤は5世前の応神天皇しかありません。応神天皇の母である神功皇后の事跡を称える勅令はそのためという話です。

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