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2016年8月16日 (火)

熱田神宮(再訪)

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名古屋戦の勝利の翌日(8月14日)、暑い中、11時ころから約2時間半かけて参拝。

この日の朝、8時過ぎの列車で豊田市駅を出発、約1時間で栄駅に到着。酒津屋中店でお仲間と昼のみw
昼前からやっている栄の地下街の居酒屋ですが、ツマミや酒の種類が多く、なかなかグッド。数年前は同じ栄駅の酒津屋東店にお邪魔してます。

1時間ほどくつろいで、JR名古屋駅から名鉄に乗り換え、神宮前駅へ。熱田神宮を再訪です。

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前回は本宮に参拝する程度であまりの暑さにお休み処でかき氷を食べて早々に撤退しましたが、今回はなるべく多くの摂社を回ることに。もっとも案内板に紹介されていない摂社もあり、今回も取りこぼしが多数あったのでやや心のこりですが(御田神社、龍神社など)。

熱田神宮は、もともと倭建命の尾張における后、宮簀媛が尊の死後、手元に残った草薙剣をご神体にして創祀した神社。彼女はその後、尾張家の中心人物として尾張国造になった人物。
尾張氏はもともと奈良を支配した出雲系の饒速日尊(神武天皇の義父、素盞鳴尊の息子)の子孫。饒速日の息子、天香語山尊(高倉下)が奈良から、三重、尾張に抜けて、勢力を拡大した後、土着した一族です。その後、その一族は新潟にまで勢力を伸ばし越後一ノ宮の弥彦神社に天香語山尊は祀られています。
そういう関係で、摂社も出雲系の神様のオンパレード。なかなか面白いところです。
ちなみに尾張氏は、その後、応神天皇の大臣、継体天皇の后を輩出し、壬申の乱では天武天皇に協力し、勢力を伸ばします。しかし、持統天皇が藤原不比等のもと、天照大御神系の神話を朝廷の歴史の柱に据えていく中で、出雲系の尾張氏の系譜は次第に排除されていきます。これは伊勢神宮から饒速日尊や、伊勢神宮に土地を提供した出雲系の猿田彦の存在を隠していく流れと並行して進んでいきます。

この後は、当日、インスタグラムに上げた投稿を再編集してあげます。
まずは、駅を降りて、東門から境内に入り、南北に走るメインの参道に出て、左折、順に南に下って行きます。最初に出くわすのが皮肉なことに天照大御神を祀る徹社。

◆徹社
天照大御神の和魂を祀ってある。まぁ、あとから作ったんでしょう。天照を祀る理由がありませんから。

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◆楠御前社
伊邪那美命伊邪那岐が祭神。なぜか安産の神となっている。本殿前の小さな鳥居は安産祈願をした人が奉納したもの。熱田神宮創設時からあったとは思えませんが、由来はよくわかりません。

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◆南新宮社
祭神は出雲の象徴、素盞鳴尊。熱田神宮の例祭は大山祭、天王祭、祇園祭といったらしいですが名前の由来はいずれも素盞鳴尊からきています。天王、祇園はご存知京都の八坂神社のこと。大山は大山祇神のことでこれも素盞鳴尊の別名。熱田神宮を創始した宮簀媛(尾張氏)が出雲系(先祖は須佐之男命の孫、天香語山尊)だからでしょう。

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◆孫若御子社
祭神は天火明尊。天火明尊は尾張氏の祖先、天香語山尊の父である饒速日命のこと。彼は須佐之男命の子であり、神武天皇の義父でもある。 彼は尾張一ノ宮真清田神社の祭神。ちなみに熱田神宮は三ノ宮。

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◆日割御子神社
祭神は素盞鳴尊と天照大御神の間に生まれた二人の長男であるアメノオシホミミ。熱田神宮は海辺の台地に位置していましたが、ここは水際に張り出た洲崎だったそうです。熱田神宮の一番南にあります。

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ここで熱田神宮の最南端、一の鳥居に出ます。鳥居に向かって今度は、左に次の2つの摂社があります。

◆上知我麻神社
日本武尊の尾張の妻である宮簀媛の父、乎止与命(オトヨ)を祀ってある。熱田神宮は日本武尊の死後、宮簀媛が草薙剣をご神体として祭って創始した神社。このため尾張国造である父のオトヨを祀ったようです。宮簀媛もその後、尾張国造になって自身が熱田神宮に祀られます。同じく熱田神宮に祀られている兄の武稲種尊は日本武尊の遠征中に遭難死した人物です。宮簀媛はその兄の遺児の後見としてしばらく尾張国造になったようです。

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◆八剣宮
宮熱田神宮の別宮。本宮と祭神は一緒。元明天皇のときに作った神剣をまつっているともいわれてます(となるとそれはレプリカとなってしまいますが)。そのかわりに草薙剣を天皇家の神器にしたともいわれています。この辺は混沌としてます。

ちなみに、草薙剣は天武天皇時代に一度盗まれ、取り戻したとされていますが、なぜか天武天皇のときには草薙剣が宮中にあったようです(後述)。天皇家としては神器として草薙の剣が欲しかったようです。その後、天皇が発病、これが剣の呪いと言われ、熱田神宮に戻しています。
本来、神剣とするなら、素盞鳴尊がやまたのおろちを切った布都御魂剣が皇統を示す剣のはずです。それが証拠に、神武天皇が饒速日尊の娘である御歳に婿入りする際、皇統の証拠として布都御魂剣を神武に渡したとされています。ただ、その後、剣は出雲系の神社、奈良の石上神社の神器となり、手が出せなくなっています(ヤマタノオロチを切ったのが布都御魂剣で、その際、オロチから手に入れたのが、草薙剣=天叢雲剣です)。

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(続く)

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